息子が通う保育園に、鳥居先生という50代後半くらいの女性がいた。仕事が丁寧で、保育士としての経験も豊富そうだった。初めて幼い息子を預けることに感じていた不安も、彼女のおかげで和らぎ、安心して任せることができた。
息子は時折、何かのアレルギーで体に湿疹が出ることがあった。病院に行くべきか迷っていたとき、鳥居先生が一冊のノートを渡してくれた。それは息子の日々の体調や様子を細かく記録したもので、「もし何かの役に立つなら使ってください」と言ってくれたのだ。驚いたのは、それが園の指示ではなく、鳥居先生が個人的に続けていた記録だという点だった。そのきめ細やかな配慮に、心の底から感謝した。
そんな鳥居先生は近所に住んでおり、時々、自転車で買い物に出かける姿を見かけた。住まいは団地のようで、裕福な生活をしているようには見えなかった。そのため、「もし彼女が保育園ではなく、銀行や商社で働いていたら、もっと出世して裕福な生活を送っていたのではないか」と、勝手に考え、同情めいた気持ちを抱いていた。
ところが、ある日参加した保育園の運動会で、自分の価値観が大きく覆される出来事があった。
運動会の開始前、年少や年中の子どもたちがたくさん集まっている中、鳥居先生が職員室から姿を現した。すると、現在は担当ではないはずの子どもたちが一斉に鳥居先生のもとへ駆け寄り、彼女を囲んで笑顔の輪が広がっていった。一人ひとりに声をかけながら、子どもたちの表情をさらに輝かせていくその姿は、特別な存在感を放っていた。
その光景を見たとき、彼女の生活を「お金がないから気の毒だ」と同情していた自分が恥ずかしくなった。鳥居先生は、仕事を通してお金以上に価値のあるものを手にしていたのだ。それは、子どもたちや保護者たちから寄せられる信頼や笑顔、そして彼女自身の生きがいだったのだろう。
私も鳥居先生を見習って、自分の人生を満足できるようにしていきたい。